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この文章は しょぼねこ Advent Calendar 2024 12/20 用に作成されました。

 2024年が終わろうとしている。振り返れば、今年は私にとって最も創作表現の噴出のもっとも少ない一年だったのではないか。
これまで稚拙ながら物書き、絵描き、手芸、シナリオエディット、ゲームクリエーション、ウェブデザイン他いろんな創作に携わってきた。
できの良いものは十に一つもあればいい方だったが、ただそれを評価されるというよりも、作成する段階と経過とに心を躍らせていたのだ、従来であれば。

 今までの私は、他人の創作物を取り入れることが自分の創作の原動力だと考えてきた。
幼いとき、人は、特に男児は大抵いくつかのルートを通って成長する。私の場合、それは積み木⇒トミカ⇒恐竜⇒レゴというルートだった。
もちろんこの時、恐竜を愛するがあまり図鑑を賜り、徐々に他の本も読むようになったことが、今の私の頭でっかちというか、知識先行の人間性の形成の一端を担ったわけだが、ともかく読んだり見たりした数々のものが...
例えばハイパーブルーポリスがなんたらとかいうビデオや、機関車トーマスだとか、ボブとブーブーズだとか、まあ列挙にいとまがないのでこのくらいにしておくが、私のレゴでの表現に生きたりとかしていたわけだ。
 やがて弟が生まれると、その作るものに刺激を受けたりして、ともかく他の遊ぶ手段がなかったのも相まって、私の組み立ておもちゃ人生は長かったわけだが。
その頃のこと、家族にタブレットを持ち始めた人間がいた。弟はそれにドはまり、能動的な遊びより受動的な遊びを好むようになる。
私もゲームや動画視聴の類をしなかったわけではないが、自我が生まれてからそんなものに接したせいか、その時にはまだ染まり切らないのである。
 この頃、自分には創作を楽しいと思える心があるんだと、そしてそれはすべての人間にある訳ではない、いわば芸術的な先天的才能の一部なのだということにうすうす感じ取るようになっていた。
誤解のないように付け加えると、ただ創作を楽しむ心があるというだけで、上手いと言っているわけではない。
もちろん、当時できたのは後述する作文と縫物くらいで、画伯の名高く、不器用な...器用貧乏な男であった。何をしても及第点、安パイ極まりない人間だ僕はなんて思ったもんである。
ただ物書きについてだけは読書感想文と俳句で賞を取ったのもあって自信があった、と、ただ井の中で王となった蛙が調子に乗っていた、そういうことである。

 その頃書き始めたのは歴史小説だった。悠久の中華の歴史の深淵と感動と色めきに魅せられて始めた執筆活動。
簡単に言えば三国志にハマって書き始めたということだが、電脳空間にたかだか11,2歳にしかならない坊主の駄文を公開し始めた時、そのあまりに簡単なことに、文明の進歩と、そして危うさとを感じたものだ。
少々の脱線から話を戻すと、それは楽しい時間であった。非才故完結まで導けた者は少ないが、作品を重ねるにつれ読者は増え、お小遣い程度の収入が入るようになったりもした。1日1時間を来る日も来る日も執筆に充てていた。
 とはいえ、その頃は自分史上もっとも運動していた時期でもあり、かつYouTubeを一番見、かつ一番ゲームをしていたころでもあった。
要は、睡眠と学業をサボっていた訳だが、放課後毎日友達とサッカーを2時間して帰り、YouTubeではコメント職人として動画投稿無しで登録者が6000人を達成し、某ラジオ系YouTuberに取り上げられそうになって怖くなって垢消しする。
マイクラではAnniにのめりこみ、プロゲーマーとしてのスカウトが届いたりする。このタフネスとアジリティはどこから来ていたのか、今や不明であり、その片鱗は影を潜めている。
 そんな忙しい1年が過ぎ、ある日マイクラをやめた。逆に、執筆はこの頃が最盛期となり、毎日コーヒー飲めるくらいの収入になっていた。出版要請もあったが、口座と権利でもつれてなくなった。
この頃、ニコニコ動画に復帰し、TRPGにはまる。ここから、CoC等でのシナリオライターとしての人生も始まる。動画投稿者の編集者、共同撮影者としてもちらほら活動しだす。
 これもまた楽しく、どんどん筆が進む。神話体系全般に精通するようになり、編集技術も向上していく。
学校ではいろいろこじれてひねくれてしんどかった中2は、これら二つで乗り越えたと言っても過言ではない。

 中3は比較的素直に勉強していた。高卒後の進路を決めていたため、逆算して必要な時間と資格を確保できる学校へ進学することにした。
自分の偏差値からは20ほど落とさなければならなかったが、おかげで時間に余裕を持てた。それは当時知る由もないのだが。
ともかく「勉強」はこの年が最終年でという強い自覚があり、今年一般教養のすべてを学ぼうという強い気持ちで1日5時間程度勉強していた。
進学校に行くわけでもないのに、校内勉強時間ランキングで張り出されたときの、周囲の怪訝な顔は忘れられない。
 この年、小1から続けていた毎週10冊の本を借りて読破する習慣がなくなった。動画の撮影も視聴もしなくなった。同時に、ほぼすべての創作が手につかなくなり、短編とポエムがたまに浮かぶくらいしかなくなる。
おそらくこの頃、先に述べた「他人の創作物を取り入れることが自分の創作の原動力」という思想が芽生えるのである。

 閑話休題。今年飲んだお酒でも書いておこう。去年はロゼと白しか飲めなかったワインが、今年は赤も飲めるようになった。五大ウイスキーも全部制覇した。
一番高い酒はなんだったろう。響かな?おいしかったが、これでお金が溶けていったと思うとおいしくない、でも人の金で飲んでるからおいしい、人間そんなもんだ。
蒸留酒系もある程度制覇した。焼酎、というものにはごく最近興味を持ちだしたところである。最近は体のために、一人飲みは極力しないようにしているので、開拓は去年より少なかった。
日本酒には当たりはずれというか、好む好まざるを感じた。新潟一人旅で飲んだのもうまかった。
そうだ、来年はどこへ旅行行こうか。広島・岡山か、宮城・山形か、福岡・大分・熊本か、沖縄か。夢が広がる。本当は韓国行きたかったが、いまの混乱と新政権の予兆を見るに、あまり歓迎されない風であることは想像がつく。
友人がいるので、訪ねる旅にしたいものだが、安全でなければ元も子もあるまい。北海道もいいな。
渡航できるうちに、海外も経験してみたいものである。そこら中のレディたちと約束しているのだ、会いに行くよ、と。パリに、ジャカルタに、シンガポールに、マニラに。ロスに、ブリュッセル、ヘルシンキ。...いやまあ、親族か同性の友人が大多数だが。
 とか言ってる間に旅行のプランが決まった。またどこかでお話しできるだろう。

 話は戻って。高校時代はコロナの歴史であると言っても過言ではない。一番不遇な世代よりは1つ上だが。あまりにも暇で始めたのが、イラストだ。人のアイコンやヘッダーを描いて小遣いにしていた。
きっかけは配信者だった。軽快な話口が好きで、コミュニティ内に絵師がいなかった彼のために始めたのだ。
Discordも彼のために始めて、しょぼねこともこの頃出会うのであるが、それはまた別の話。案の定僕が応援していた彼は伸びて、配信アプリ公認の座を手に入れた。後に喧嘩別れするのだが...
 そんなこんなでしばらくぶりの創作を始めたのだが、この時も配信、加えてお笑いやドラマを見始めるなど、取り入れることも多くなっていた。
SCPやらを読み漁ったり、名作と言われる映画を見ずして死ねるものかと思って見漁ったり。着想も原動力も、良いものを見ることから来るという風の考えは確信に近いものになった。

 しかし今年、その確信を揺るがすことが起きる。いくら吸収しても、創作が手につかないのだ。
あまりの疲労に、せめて質の高いものを、と面白いと思える映画やドラマ、YouTubeを見ている。面白いと思うものもある。感性が損なわれたわけではなさそうだ。まだ、人の創作物で泣く健気さを持っている。
取り入れているものはある筈だ。田舎もんの意地で、行ったことのなかった映画館にもデビューしてみた。サブスクもなんだかんだ2つばかり入り続けている。
されど何も意欲が湧かない。自分に半ば鞭打って締め切りを課してようやく、絵を何枚か仕上げることができた。今日の駄文はともかく、仕事で講演やプレゼンを作ったり、メールばかり書いているとなんでもない文章を書くことが嫌いになってくる。
ある程度心動く、典型的な講演のスタイルを形成できたりと、成長こそみられるが、小手先のもので、自身の内奥が湧きたつ創作、というものではなくなってしまった。
ほとんどが迫られて、崖のふちにいることを自覚して自分を奮い立たせて何とか言葉として吐き出す程度の「ところてん方式」だ。源泉から湧き出た水ではなく、左から右へ流れる川の流れ。
講演会やプレゼン会の後に感じる猛烈な喪失感からして、難しい内容なのは別にして、押し出されたゆえに自分の中に残っているものが少ない状態になっているのだろう。
自分の中に何かを残すには猛烈に取り入れることが必要で、何かを生み出すには至らない。

 この経験をして、私は悟った。創作表現は、取り入れたものが形を変えて出ていくだけのことではなく、自己の中から噴出して外へあふれだす感情の表現、表出であると。
思い返すと、これまでの創作には、「暇」を打破したいという欲求、「鬱」をぶち破りたいという欲求、「今」を楽しみたいという欲求、「僕」を知ってほしいという欲求、「金」が欲しいという欲求、いろんな欲求とそれからくる感情の表現とがあった。
行動を制限されるロックダウンという前代未聞の事態に、だんだんと見えてくる社会的異物を排除しようとする愚かしい人間の習性に、人生は儚く楽しむべきものだという哲学と風、はびこる承認欲求。いろんな抑圧があった。
特にSNSをほとんどやっていなかった僕にとって唯一の「愚痴が言える場所」が創作だったんだろう。水というものは、抑えつけるものがあればあるほど、出口が狭ければ狭いほどその噴出は勢いを増す。
感情も同じなのだ。僕をいじめる社会へのうっ憤、友が浮かない顔をしている、させられているといううっ憤。
今日もどこかで野垂れ死ぬ人がいるという事実、若者特有の反権力的な...一種の妄想に近い親や社会への嘲笑的思考。
社会を見て、俺の方がうまくできる、そんな野心的なそして愚かなことを思うものである。
それらを総合したなんとも言えない欲求不満。決して悪い動機でもなく、非行に走るわけでもないが、溜まったうっ憤は確かに存在していた。
それが、取り入れたものにヒントを、よく言えばヒント、悪く言えば簡単に影響を受けて、表現できるんだと知った。
怒りを特色とするものが特別多いわけではないが、そんな種々の制限がある中で、自分を解放的にして、湧き出てくる水の多さに心の壁が耐えきれなくなって起こる崩壊、それが芸術であり創作であったのだ。

 今の私には、それがないのだ。いつしか自分を「私」と呼ぶようになり、仕事が板につき、食い寝てたまに飲む打つという生活には、何の感情も欲求もない。数十連勤もしていれば当然ともいえるが。
ストレスはあれど、体調とメンタルに不調を来すくらいで、大きくは減りも増えもしない。生活が作業の一部のなりつつあるのだという自覚を得て、これが「社会人」かと思いながら、
若者...青年...いや少年であった数年前まで持っていた無気力で無関心な大人への軽蔑と侮蔑、その実像を己が目でしかとみて、ただその背中を追いかけながら、自分もそんなもんだと自覚して、それでも自分は他とは違うんだ、なんて思いたくて。

 今日も今日とて私は飲む。アーリータイムズを胃に流し込んで、アマゾンプライムの海を泳ぐ。
やる気、出ないかな、来年こそ。いい一年になりますように。そして、ありがとう2024。

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